「権力」
2005年 韓国

 監督 : イ・ジュンイク
 製作 : イ・ジュンイク
  キム・インス
  チョン・ジンワン
 脚本 : チェ・ソクファン
 撮影 : チ・ギルン
 原作 : キム・テウン
 出演 : カム・ウソン
  ユ・ヘジン
  カン・ソンヨン
  チャン・ハンソン
  チョン・ソギョン
  イ・ジュンギ
  チョン・ジニョン

上映時間 : 120分

監督 :イ・ジュンイク 『キッド・コップ』『黄山ヶ原』
脚本 :チェ・ソクファン 『ラジオスター』『達磨よ、ソウルに行こう!』
カム・ウソン 『スパイダー・フォレスト 懺悔』『純愛』
イ・ジュンギ 『ホテル ビーナス』『僕らのバレエ教室』
チョン・ジニョン 『達磨よ、ソウルへ行こう!』『ワイルド・カード』『ガン&トークス』『約束』
カン・ソンヨン 『このまま死ねない』「結婚しましょう」「彼女は最高」「ハッピー・トゥギャザー」
チャン・ハンソン 『カル』『反則王』『天国からのメッセージ』
ユ・ヘジン 『愛を残して』『達磨よ、ソウルへ行こう!』
チョン・ソギョン 『夏物語』


◆公開当時ノンスター作品ながらその面白さが異例に口コミでひろがり、
『ブラザーフッド』の動員記録1174万人を抜き、韓国史上もっとも観客を動員した映画。

◆大鐘賞10部門制覇
韓国の映画賞を総なめ!アカデミー外国語映画賞への出品作に
第43回大鐘賞映画祭授賞式で、史上最多の15部門にノミネート、
最優秀作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞など、史上最多の10部門を受賞。
第79回アカデミー賞(R)外国語映画賞への韓国代表作品に決定。

◆全世界で1400万人が観た韓国歴代動員No.1の大ヒット王朝ロマン大作

◆芸人の名誉、王の孤独、男と男の友情、愛と嫉妬・・・激しくも切ない人間ドラマが胸を打つ

◆"歴史を狂わせる美しさ"イ・ジュンギが本作で一気に新世代のトップスターに

◆"アジアの知性"カム・ウソンら実力派人気俳優が共演


旅芸人チャンセンとコンギルは、横暴な座長の率いる一座を逃げ出して2人で旅へ。
やがて2人は、史上最悪の暴君といわれた王ヨンサングンとその妾ノクスの関係を皮肉った芝居を演じて
人気を集めるが、王を侮辱した罪で役人に捕らえられてしまう。
16世紀に実在した朝鮮王朝第10代の王、ヨンサングン。
傍若無人で知られた彼の心を虜にしたのが、世にも美しい芸人の青年であったという物語だ。
やがて漢陽の都に来たふたりは「王を笑わせる」という条件で宮廷の舞台に立つ。
しかし、王は2人の芝居をおもしろがり、2人は宮廷に住むことになる。
やがて王は、自分でも理解できないまま、美形のコンギルに心を乱していく。
コンギルを演じたイ・ジュンギの中性的な魅力で、彼は王とチャンセンの間で苦悩する姿も名演している。
王ヨンサングンが芸人コンギルを寵愛するあまり、王の妾ノクスはコンギルを陥れる陰謀を画策。
王を取り巻く重臣たちも旅芸人たちを追い出そうとする。
また、芸人チャンセンは弟分のコンギルと王の関係について複雑な思いを抱くようになる。
華麗な王宮に、愛と嫉妬、陰謀と策略のなかに翻弄される2人・・・


<コンギル役のイ・ジュンギも雑誌のインタビュー>
「この映画、粗筋だけ追ってゆくと悲惨とも思える筋立てではありますが、
個人的にはこれは希代のハッピーエンドだと思っています」


私がこの映画を観てみよう、と思ったきっかけは、イ・ジュンギ主演のドラマ「イルジメ」からでした。
「イルジメ」はTVドラマながら、とてもよくできていて、さながら映画を観ているかのようで・・・。
すっかり虜になった私は、DVDを購入しようと、インターネットで調べ始めたところ、
イ・ジュンギ関連から、常に映画「王の男」が検出。
その怪しげな題名からも興味が・・・上記述にあるような内容を読むと、さらに興味が・・・。

観終わってまず感じたのは。
これまでに感じたことがなかった、宮廷と庶民の隔たりである。
王の側近、官僚といった貴族と、庶民、芸人達の違いが、はっきり見て取れる。
見て取れるだけではなく、肌で感じられるほどだ。
これまで観てきたTVドラマでは、身分の違いと、その顔つき身なりの違いは、それほど感じなかった。
それだけに、身分制がピンとこなかったりしたのだが、
この映画を観れば、宮廷と庶民の世界観がハッキリ分かれて見えてくる。

それから。
朝鮮文化と日本との関係性にも、感じるところがあった。
この映画では、芸人が軸となっているのだが、中でも仮面劇は、日本の神楽を思わせた。
太鼓と鐘、顔には仮面、なによりもそのセリフの言いまわし。言葉の抑揚。扇子の使い方・・・
その、そっくりなことに驚いた。
少なくとも、私の知ってる南部系神楽には、よく似ている。
神楽は、日本固有の文化かと思っていたが、もしかしたら、朝鮮からの渡来だったのかも??
そりゃ、朝鮮や日本に限らず、中国には京劇があるし、西欧にはオペラがあって、
京劇がチャイニーズオペラと称されているように、日本の歌舞伎だってジャパニーズオペラだ。
このように、人間の感情は似通っていて、伝わった、伝来した、というのではなく、
たまたまどれも共通性が感じられるだけかもしれない。
でも、日本の文化は大陸からもたらされたことには違いない。
漢字は中国からだし。しかし、読みはどうだろう?
ハングル語を聞いていると、漢字の日本読みと同じものが聞き取れる。
もともと、韓国も漢字文化の国である。
漢字は中国からもたらされたに違いないが、その読みは独自に広まったと考えられる。
それが、さらに日本に伝わったとも考えられないだろうか?
そして、韓国ではハングル文字が、日本では仮名が生まれた。
中国の京劇は歌舞伎に、韓国の仮面劇は神楽に・・・
ああっ?中国にも仮面劇はあったね・・・いやいや、あれはセリフがないもんね。
てか、私は学者でもなんでもないから、映画を観て、ただこんな風に思いついただけで根拠もなにもない話しなんですけどね。
もっともらしく言えた立場じゃない。
とにかく日本は韓国からの影響は少なからず受けているはず。
それが、神楽もだったのでは、と思ったほど、映画の仮面劇はよく似ていました。
また、劇中には綱渡り・盲人芝居・仮面劇・人形劇・影絵といった数々の芸も登場します。
これほど多彩な芸を、庶民が娯楽として楽しんでいたといったところも、見どころだと思います。

さらに、「イルジメ」に続き、映画「王の男」を観たことによって
ますます韓国語への関心か強くなってきました。また、歴代王への関心も。
ドラマ「イ・サン」と、「チャングムの誓い」での王と、「イルジメ」の悪王と「王の男」での暴君・・・
いったい、どういう順番なんだ?
時代的にはどういう位置順なんだろう?なんて疑問も自然にでてくる。
言葉もそうです。聞き慣れてくると、王の話し方と他の違い。
どういう使い分けしてるのだろう?って思う。
文字もそう。
なんて読むんだろう?
読めたらなぁ、って思う。


さて、物語に関してですが・・・
普段は無口でおとなしいが、いざとなると大胆で、演技することで自分を吐露するコンギルと、男気のある天才芸人チャンセン。
コンギルをかばい、横暴な親方のもとを飛び出して、漢陽へやってくる2人。
女よりも美しい男であるがため、どうしてもその趣味のある男の目に留まってしまうコンギル。
推測するに、コンギルにその趣味があったとは思えない。
なぜなら仮面を付けて耐えているシーンがあったから。
本人の意に反して好かれてしまう。
ならば、体を売るよう強要する親方を許せないチャンセンの方に、コンギルに対して好意があったのか?
いやいや、それは野暮な考えというもの。考えすぎだ。
ふたりは芸の相方として、お互いに必要な存在だ。
コンギルにとって自分を守ってくれる唯一の存在であり、唯一頼れる人。
チャンセンにとって、息の合った芸のパートナーはコンギルだけだし、
コンギルと舞台に立ってる時だけが生きる証のようなもの。2人は強い信頼で結ばれている。
お互いに失いたくない存在なのだが、女より美しいコンギルを男が放っておかないから厄介なのだ・・・
案の定、王の目にも留まってしまった。
王には逆らえない。今度ばかりはチャンセン黙るしかなかった。
だが、心中は穏やかではない。
その思いは最後になって・・・

そもそも、宮廷にコンギルたち芸人を呼び込んだ官僚には企みがあった。
それは、舞台仕立てで、悪徳官僚の悪事を暴いていこう、一掃していこう、という含みだ。
庶民に支持される娯楽として、猥雑な芸の披露も、
劇中劇である「王や宮廷の姿を皮肉った芝居」のためにも必要な要素だった。
芸人を使った官僚のほうが上手だったということ。
コンギル、チャンセンたち芸人は、利用されていたにすぎない。
宮廷になどとどまるべきではなかった。出て行くべきだった。
だが、コンギルが王に握られている。
チャンセンはどうしても離れたくなかった。
芸は捨てられない、芸をするならコンギルと一緒でなければ・・・
出て行くならコンギルと一緒でなければ・・・
チャンセンが言うように、コンギルには出て行く気がなかった。
それは寵愛を受けたからでも、官職を授けられたかでもなく、素顔の王は孤独で可哀想な人だったから。
王は先王と比べられ官僚たちに侮蔑され、実の母はその高名な先王、
実の父に殺されていた。それは宮廷のタブーだった。
側室たちの嫉妬から毒殺された母を、そのようないきさつがあったとは知らず恋しがる王。
大人になった現在も母への恋慕を持ちつづけている王。
毒殺の事実が明るみになった時、王は怒り狂う。
それからはあとはムチャクチャだ。
物語は急スピードで展開する。
宮廷を出るべきだった。
コンギルは官職を受けるべきではなかった。
殺されそうになりながらまで留まるべきではなかった。あの時、出て行くべきだった。
抗議文で陥れられるまでいなくてもよかったはず。いくらでも出て行くチャンスはあった。
終いには、王への情が仇となる。
コンギルを救うため、罪を被ったチャンセンが憐れだ。
命拾いし、放免されたのに、なんでまた、舞い戻った?
「コンギルはあきらめろ」と言われて初めて気がついたのだろうか。諦められない自分に。
バカだよ。
ほんとにバカだ。
「ようやくまた好き勝手にやれると思ったのに」「自由に舞台を飛び回れると思ったのに」
そう、つぶやくチャンセンの言葉を聞いて、コンギルも死のうとする。
なぜ死のうとするのか理解できない王。
「芸人ごときを数人呼び入れることに、なんの意図がありましょう」
「芸人は、ただ芸人にすぎません」
そうなのだ。芸人は、ただ芸人で、それ以外ではない。芸人は芸人以外にもなれない。
「この腐った世の中、心置きなく旅立つために、最後にもう一度だけ、共に芸を見せよう!」
ラストの綱渡りのシーン。
2人が空中に舞い上がって終る・・・


主演のイ・ジュンギがいうように、これがハッピーエンド?
最後まで共に相方と芸をして、共に逝く。芸人として舞台で果てる。共に・・・
まあ、ハッピーエンドと、いえばそうとれなくもない。
でも、執着心の強い私としては、宮殿を去ってさえいれば、最後の'帰り道'の場面のように、
自由に広い大地を旅し、いつまでもいつまでも大好きな芸人として人生を送れたのに・・・
そう思うと、無念でならない。
だって、気まぐれな王のオモチャにされて、あんな目にあわなければならないなんて。
あんな王に関わったがために・・・


権力者が絶対的な力を持ち、国民すべてを掌握していた時代。
身分制に囚われた社会には、個人が存在が確立しにくく、自由も欠如しがちになる。
そこで、心に満たされるなにかを見出すのは極めて困難だ。
まずは、食べることが優先される。
といって、娯楽がなければ、人生やりきれない・・・
事実、生活が苦しく、生き難い時代にも、酒と娯楽だけは存在してきたではないか。
そんな時代背景が生んだ、これは哀しいおはなしです。
陰謀に巻き込まれた、芸人の悲劇です・・・

「綱の上は空の真ん中だ。地面でも天上でもなく空の真ん中」
空の真ん中は芸人たちの世界。
地面の腐ったこの世でもなく、天上の宮廷でもなく、空の真ん中に遊ぶ芸人の世界・・・
地面のこの世でもなく、天上のあの世でもない、空の真ん中は芸人の世界・・・

「あんたがそっちで、私はこっち・・・誰もいないじゃないか・・・みんなここにいるよ」
それがこの世であったなら、ハッピーエンドなんだけど・・・


(2011年9月記)

「王の男」は同性愛を描いた映画ではありません。by tuzi