冬天的楽趣(一)


* * * 第1回 * * *

「アラン記念」

私が編み物を始めたのは、小学5年生頃だったと思う。
クラスの女の子の間でブームになったのだ。
その年の冬、手編みの帽子が流行った。
帽子はかぎ編みだった。
長編みだけで輪に編んで、てっぺんですぼめるだけの簡単な作りだった。
女の子達は休み時間つくり方をリレーで教えあって、瞬く間にかぎ編みを覚えてしまった。
帽子しか編めないから、みんな色違いの手製の帽子をかぶっていたことになる・・・(笑)

ひとつ年上の従姉妹(いとこ)にも編み物ができる人がいた。
私は当時、それほど手編み物が好きだったわけではなかったが、
仲がよかった従姉妹について棒編みを覚えようとした。
そう!従姉妹は棒編みができたのだ!
しかし、私には棒編みの才能が無かった。
見ても覚えられなかったのだ。

そして、中学へ。
ませた女はいるもので、彼氏がいたりするとセーターを手編みしてプレゼント♪
なーんていう人もいた。
あっしには関わりあいのないことでござんす。
編み物に興味を持つこともなく、彼氏もいないまま私は大人になった。

どうして棒編みを覚えたか、どうして編み物を覚えようとしたのか、私は覚えていない。
なにがきっかけだったのかも思い出せない。
とにかく、私は初心者用の編み物の本を買ってきて、棒編みに挑戦した。
だから、私の編み物は独学の我流である。
近所のおばちゃんが、私の編んでる手元を見て、こう言った。
「あら!tuziちゃんの編み方、アメリカ編みね!」
「???アメリカ編みって???」
「早い編み方よ」
早いとアメリカ編みって言うの?
私自己流の編み方は、みんなのように糸を一回一回かけて編むのではなく、
棒も糸も持ち替えずにただひっかけていくだけ。
だから、とっても早い!
とにかく自己流だから逆に糸と棒を持ち替えながら編むことができない。

初めて編んだのは自分のセーターだった。
表編みと裏編みの模様を入れた茶色のセーターだった。
しばらく気に入って着ていたが、今では行方不明になった。
それからは、安い毛糸を買ってきては自分のセーターを編んで楽しんでいた。
だんだん、腕もあがり難しい編み方にも挑戦したいと思うようになった。
編み物の本を買っても、わけわからん難しい編み図は敬遠していたのだが、
ボンボリ(ノット)がかわいい「アラン模様」に挑戦!

「アラン模様」とはアイルランドに伝わる模様で、一家の繁栄を祈る生命の木、
人生の厳しさを表したダイヤ、命綱を意味する縄の模様など、
詩情豊かなものが特徴の伝統模様です。
縄は綱につながり、漁師にとっては命綱、農夫にとっては収穫物を束ねる綱の意味があります。
半農半漁の生活をしているアラン島の人々には欠かせない模様なのです。
目の詰まった立体的な編地が多く、ハニカムステッチなどもそのひとつです。
漁に使う網を広げた海岸、果樹園の網棚の情景を表すといわれている。
玉編み(ノット)はアイルランド特有の木苺の実(ブラックベリー)または子供を表しています。

このように伝統模様にはひとつひとつに意味があり、
それらは日々の生活や自然から取り入れられたものがほとんどです。

私が挑戦した「アラン模様」は編みこみと刺繍(ステッチ)が入った、初心者には高度なものだった。
ひと目でも間違えたら最後、戻れなかった。
私の当時の技術は、ほどけたら最後、一からやり直しだったのです。
(今は復旧できるようになりましたが)
だから、このセーターは出来上がるまで時間もかかったし、
苦労して仕上げた記念のアラン模様1号だったのです。

私はあまりに苦労したせいか、仕上げてから一度もこのセーターを着ていません。
おしくて袖をとおすことができないのです。
毎年、衣替えで冬物をだす時に、懐かしく眺めていただけの私・・・
今では流行おくれ(当時は丈の長さが短かかった)でみっともなくて着れなくなってしまい
すっかり観賞用となってしまった・・・


(2003年8月記)







* * * 第2回 * * *

「あまり毛糸の達人」

数着編み終えると、余り毛糸がたまってくる。
それも中途半端に残ってしまうのだ。
私は変なところに完璧主義で、この中途半端に残った毛糸を使い切らないと気がすまない。
そうだなあ・・・
長さにして30センチくらいからは捨てられなくなる。
こま切れに20センチが2本なんてときは、つないで使わないと気がすまない。
とにかく、物が捨てられないタチなんです。
毛糸だけではありません。
なんでも捨てられないタチなんです・・・

で、捨てられないわけだから、たまる一方なんですけど、
これがまた記憶力がよくて、不足した代用にうまいこと使い切ったりするんです!
毛糸もそうなんです。
中途半端に残してあっても、それを利用するのがうまいんです!
手前味噌発言なんですけどね。

このセーターは、どっちもどっちで中途半端に残った毛糸を2色を
完璧に使い切った自慢作なのです!
あまり毛糸は30センチ未満!どうだ!と言わんばかりの使い切りよう。
余すところなく使った苦心は、リボンを見てくれればお分かりいただけるでしょう。

使い切ることに神経がいき過ぎて、色使いは二の次になっていたりもしますが
どうせ私が着るんだから、まあいいか・・・
中途半端に残っている毛糸を使いたいが為に編んだといってもいいくらいなのです。
とにかく編むのが好きなので、どう使い切るか毛糸を眺めてあれこれ考えるのもこれまた楽しい。

色使いがハチャメチャな分、柄で調整してみました。
裾にシンプルな透かし模様をあしらって、袖は総模様。
実は糸の太さが違うんです。袖の方が細い。
だから、春先に着ようと思って春らしいデザインにしようと・・・

今じゃ、可愛いらしすぎてこの歳じゃ恥ずかしくて着れないぞ・・・
もうそろそろ編み直し時期かな?


(2003年8月記)







* * * 第3回 * * *

「2000年香港の思い出」

この糸は綿です。
ですので半袖とか七分袖にして春夏用として仕上げようと考えていました。
モスグリーンが基調で、ブルー、イエローが入った複数糸がよられています。

母が、この色を気に入ったので、母に七分袖のセーターを編みました。
すると、またまた中途半端に残ってしまったのです。
この半端な量で出来るものといえば、ノースリーブしかない。
それしかないでしょ。しかたないでしょ。
これまた余っていた水色の糸を細いラインにあしらって、足しにしてっと・・・
首周りと裾は二重に折ってまつる。こうすれば、丈が短くても着られるからっと・・・

出来上がりを試着してみる。
いやあ、これはちょっと派手かも。
ノースリーブを着慣れないせいか、気恥ずかしさをおぼえた。
こういった、日本では恥ずかしくて着れそうにない派手な服、
買ってしまってから失敗したっ!と思った服は香港で着るしかない!

私はこれまで3度香港に行っているが、
いつも日本で着そびれている服のお披露目をしてきた。
あみあみのハデハデ上着、ウンガロのショッキングピンクシャツ、ベルサーチ柄のブラウス・・・
どれも日本では恥ずかしくて着れずにタンスに眠っている品ばかりだ。
さあ、このセーターも香港で着るしかない!

香港には私の太極拳の師父がいる。
4度も香港に行ってるのは師父に会うためだ。
2000年、私の師父は御年80歳。
律儀で紳士。とても優しい人です。
怒った顔は見たことがありません。
穏やかに優しく微笑む師父の顔しか見たことがないのだ。
でも私には分かる。
私もたじろぐ頑固者であることが。
生意気を言うようだけれども、師父の太極拳を見れば、
太極拳に取り組む真摯な姿勢をみていれば、意志の強い人間であることがわかろうというもの。
それは言葉ではない。
私は師父の太極拳に自分と同じ何かを感じたのだ。
やはりそれはうまく言葉では言い表せない何かだ。
師父も私に同じ何かを感じたに違いない。私はそう信じている。
そこは頑固者同士の意志の疎通である・・・


私は奥さんと3人で毎朝朝食を食べ、2000年は日帰り旅行にも連れて行ってくれた。
私はホテルにひとり滞在し、公園で朝の太極拳を師父といっしょするだけです。
午後はひとりで香港の街をぶらぶらしてたのでした。
私が勝手に師父とよんでいるだけで、太極拳の先生ではありませんし、
むしろ、教える教わる太極拳とは無縁のお人です。
そんな勝手に弟子入りと決めこんで付きまとう私を日帰り旅行に誘ってくれたのです。
私はこのセーターを着て待ち合わせ場所に行きました。
奥さんは、ノースリーブで現われた私を見て、日焼けの心配してくれてました。
それに、この時私は体調が悪く、咳が止まらなかったのです。
冷房の効いた車中で咳が止まらなくて困ったのもこのノースリーブのせいで
体が冷えてしまったからかもしれません・・・
(詳しくは「旅行記」「太極拳修業記」2000年香港をご覧下さい)

私との小旅行にカメラを持ってきた師父・・・
でも、電池が切れてて写せなくて落ち込んでいた師父・・・
一緒に行ったお寺の階段を私より元気に登った師父・・・
お昼おいしい香港デザートをご馳走してくれた師父・・・
私の為にたくさんのおやつと飲み物をリュックに持ってきた奥さん・・・
香港郊外の緑豊かな山、澄んだ空気、太陽、青空・・・

師父とあのような旅行は、もはやできない。
師父はこの年の冬病気になり、太極拳もできなくなった。
公園から師父の姿は消えた。
50年毎朝繰り返された太極拳を二度と見ることはできない。

でも、心配はいらない。
私は決して師父の太極拳を忘れない!
師父という人を忘れない!

このセーターは太極拳を離れて師父と過ごした小旅行のたったひとつの思い出の品なのである。


(2003年8月記)







* * * 第4回 * * *

「もどきセーター」

このセーターは私の代表作のひとつである。
ローズピンクの糸をベースに、初めて編んだセーター(茶色)の残り糸と
第1回の「アラン記念」で編み込みに使った糸(ブルー)をラインに使った。
裾と袖口、衿は縄編みを入れたゴム編み。
さりげなく凝っている。
ローズピンクの毛糸は色合がなんともあったかしてて気に入って購入したものである。
初めは、一色だけで模様編みにしようと考えていたのだが、
ほら、私は余り毛糸を使い切らないと気持ち悪い性分だから・・・
それで、素編みにしてラインでアクセントにしようと思ったのです。

出来上がってみると、な〜んか間が抜けている・・・
そこで、閃きました!
刺繍でイニシャルかなんか入れてみよう!
う〜ん・・・
物足りないなあ・・・

よっしゃ!
BENETTON
これくらい文字数がないことにはね♪
ね♪って、思いっきり恥ずかしいだろっ!
どう見てもこれはBENETTONセーターには見えないだろっ!
いいのかよ!?
そんな根性で!?
パクリだよ・・・


よいのです。
BENETTONもどき

ご愛嬌ってことで♪


(2003年8月記)







* * * 第5回 * * *

「2000年上海のフリータイム」

2000年12月に上海蟹が食べたくて上海に行った。
だからといって贅沢な旅行なんかじゃなくて、いつもの極貧旅行だ。
12月でも上海は北京のように寒くはない。
コートやオーバーはいらないだろうが、いくらなんでも冬なんだから
セーターくらいは必要だろうと思い、私はこのセーターを持って行った。

モヘアで編んだ厚手のセーターだ。
首はクリンとなるようにメリヤス編みで仕上げた。
これを編んだ当時は(2000年よりずっと前です)このようにクリンとなる首周りが流行っていたのだ。
それに、雪が樹木に降り積もって白くなった世界をイメージして編みこんだ。
糸を渡してあるので、つらないように気を使わねばならない。
かといって、ゆるすぎても糸が浮いてだらしなくなってしまう。
編みこみの目が飛べば飛ぶほど、そのへんの加減が難しくなってくる。
樹木部分より、雪のほうが難しい・・・
裾と袖口のゴム編みは長めにとってゆったり編んだ。

上海はこのモヘアセーターで丁度いいくらいの気温だった。
私はこのセーターを着て上海一の繁華街南京路を歩き、
ホテル近くの靴店ではそのすべてが斬新なデザインで母も私も目を奪われた。
「ここはイタリアか?」くらいの勢いだった。
書店では母が退屈しているのを気にかけながらも太極拳本に目を輝かせ、
小腹が空いたといっては焼き芋を食べ、太極刀を極秘入手し、
アベックてんこ盛りの黄甫公園を何が悲しくて母と歩き、
一見美味しそうに湯気をたてている史上最悪のとうもろこしを食べ
12月のガツガツした固いメロンをジュース代わりに頬ばり
南京路脇の食堂で食べた餃子のあまりの美味しさに涙し、
母は私が適当に注文した百合根料理に感激し、夕飯には待望の上海蟹も食べた。
冬がシーズンの上海蟹は甘くておいしかった♪

上海の冬がこのセーターと共に思いだされる・・・


(2003年8月記)







* * * 第6回 * * *

「奇想天外」

私は仕上げるというよりも、そこまでの過程が好きです。
編むことが好きなんです。
編み物が好きな人は、各パーツが編みあがって縫い綴じる時が楽しみ、
という人が多いように思います。
それは、そうですよね。
仕上がりへラストスパート!ゴールま近なんですから。
でも、私は縫い綴じる頃になると寂しくなってしまうのです。
あーあ、終わっちゃうのか・・・と。
編み始める時や、毛糸を眺めながらこれをどういう風に使おうか・・・
なんてあれこれ考えてる時が一番楽しかったりするんです。

毛糸の買い方も、糸が気に入ったからというだけで使う当てもないのに買ってしまいます。
この胴体の糸もそうでした。
綿糸で5カセしかなかったのです。
茶色だったので樹木をイメージした柄にしてみました。
胴は綿糸なのに、袖はモヘア・・・
めちゃくちゃです。
使えばいいってもんじゃないだろうに・・・
余った分でマフラーを作ってみました。

めちゃくちゃだけど、これがけっこう気に入ってます。
おそろのマフラーがポイントですね♪
自分でも編みながら半信半疑だったのですが、ミスマッチかと思いきや
どうしてどうして、なかなかいい味がでました!
ちょっとしたお出かけにも着て行っちゃいます!
(え?やめたほうがいいって?)
モヘアが何度も編み直ししているうち糸が痩せて
シースルーのようになってしまったので初秋に着ています。

私にはコツコツと石橋を叩いて渡らない一面があって、それが編み物に表れているようです・・・
いつもなら、王道からはずれないように基本に忠実になるあまり
面白みのない、ありきたりの物しか作れなかったりするのです。
でも、このセーターは違いました。
思いもよらない出来上がりになったのです。
自分の想像を超えてしまった!
おもしろいもんですね。
人間ぶっちゃけると意外な面が見えてくるものです。
このセーターでそんなことを教えられました。
私はまだまだ自由になれるはずなのでしょう・・・
頭でっかちじゃなくて、ふっと気を抜いた時に湧いてくる発想とか、
何も考えないで無計画に進んでいった時に思いがけず発見するものなど・・・

人間は限りなく自由になれるはず・・・
そう思いませんか?
本当は自分を不自由に縛り付けているのは誰あろう「己」なのでしょう。
そして、心を自由に解き放つのも「己」以外にはいないのだと思います。

編み物って人生語りますね、ってか(笑)


(2003年8月記)







* * * 第7回 * * *

「新春福袋物語」

正月恒例の初売り。
私は正月の楽しみとして、この初売りに出かけるのを楽しみにしている。
元旦から商売を始めるなんていうへそ曲がり量販店もあるが、
伝統の初売りは正月2日だ!
元旦から財布を手にするものではない!
こういう些細なところを崩していくことが伝統を失うことにつながるのだ!
私は、量販店に対抗して、商店街組合までもが現在まで守ってきた伝統の2日初売りを
元旦に変更しようという意見に断固として反対だ!
なぜに売り上げばかりに目が行って、
もっと大きな守るべき事を見ようとしないのかわからん。
正月初売りは昔から2日と相場が決まっているんだ!
変える必要なんかないよ!
つまらん理由で変えることなんかない!(怒)
断じてないっ!(怒)

正月元旦は初詣でに行ったら早く寝て、2日の初売りに暗いうちから出かけて
お目当ての品をゲットする・・・
そうしてきたじゃないか。
商店ではそんなお客さんの為に暖をとったり、振る舞い酒を出したりして開店する。
景気よく景品を出して、賑やかに買い物を楽しむ。
福袋で今年のツキを占ったりして。
家に帰って開けるのが待ち遠しかったりして・・・
昔からそうしてきたじゃないか。
それが伝統ってもんだろうが!(怒)
最近の日本人は何でもかんでも簡略したり、言葉さえも短く略したりしてさ!
ふんっ!おもしろくないんだよっ!ここは日本なんだよっ!

どうして、なんでもかんでも伝わってきたことを変えようとするの?
わからん、さっぱりわからん。
少々の不都合があっても、時代に則さなかろうが、
そこを守ってこそ伝統ってもんだろうが!(怒)

さてさて、写真の靴下。
福袋の品です。
といっても、品物は違いました。
例えば、帽子だったり、マフラーだったり・・・そんな小物でした。
ハデハデでした。
とても、恥ずかしくて身につけられませんでした。
その福袋を買ってしまったのが、母でした(笑)
そんなわけで、母に私はいらなくなった福袋を押し付けられました。
押し付けられた私はその品をぜーんぶほどいて靴下にしました。(ほんの一部です)
ところが、この糸はアルパカなので切れやすいのです。
靴下には不向きでした。
このあとすぐにかかとが破け履けなくなりました。

その後の変身は、グリーンと赤が手提げバック、ブルーがシューズケース、
オレンジと灰色がペットボトル入れにそれぞれ再変身したのでした・・・

そして2004年初売りでも編む当てもない毛糸をたんまり買い込んだ私だったのでした・・・


(2003年8月記)







* * * 第8回 * * *

「2000年北京の小春日和」

このセーターは私の傑作のひとつです。
このセーターでハードルをまたひとつ越えたって感じです。
それほど苦労しましたし、時間もかかりました。
編み図があったのですが、それでも大変だった・・・
当時の私の技量を超えていたのです。
でも、この千鳥柄が好きで、ちょうど色も合う糸を持っていたので挑戦したのです。

濃紺の糸はお正月の福袋に入っていたものですが、品物がとてもよくて手触りから違うんです。
とってもお得な福袋でした(嬉)
編みあがって着た感触も違いました。
糸が渡って二重になっている(編みこみ)ので、とってもあったかです(嬉)
手編みならではの一品だと自負しております。

そうなんですよね。
手編みには手編みならではの・・・なんと言うか・・・
そう!既製品とは見た瞬間から違うんですよね。
私は冬はいつも自家製のセーターを着ています。
近所のおばちゃんは決まってこう言いました。
tuziちゃんが編んだの?」
ちぇっ、手編みってわかるのか・・・
私もまだまだだな・・・
私は心の中でそう思ったものでした。
手編み初心者の私は既製品に見られようと、機械編みと張り合っていたのです。
その根性がそもそも間違いなんですよね。
最近では「それもtuziちゃんが編んだの?」と聞かれると、素直に嬉しく思えるようになりました。
手編みにみえるということは決して下手だと言っているわけではないのです。
そのことがようやく分かりました。
手編みが手編みの主張をしているのです。
「心がこもる」だなんて演歌のようなことを言うつもりはさらさらありません。
そこまで大げさなこともないと思っていますし。
けれど、手編みは見る人にも「ぬくもり」が伝わるものなのでしょう。

ところで、このセーターは2000年の北京旅行で着ました。
3月の北京はまだ寒く、コートや手袋が必要でした。
北京市内観光の日は晴れて暖かだったので、
私はコートを脱いで、このセーターだけで見て回った。
その夜は初めて京劇を鑑賞し感動した!
(詳しくは「旅行記」をご覧下さい)

春にちょっとだけ早い北京で私を温かく包んでくれたセーターである。


(2003年8月記)







* * * 第9回 * * *

「ふたり分の毛糸」

女の子が編み物を始めるきっかけなんてだいたい相場が決まっている。
それは・・・
彼氏にプレゼント♪
そうでしょ?
図星でしょ?
クリスマスに、バレンタインに、誕生日に彼氏に着てもらうように編む・・・

贈る相手のいない私は、ひたすら自分のためだけに編む・・・

でもさ、考えてもみてよ。
ラブラブの時は編んであげるのもいいけど、別れちゃったら思いっきり恥ずかしくない?
片思いで、バレンタインに告白するからってチョコに添えていきなりかさばるセーターの包み紙!
両想いだったらいいけど、本命が違う女だったりしたら思いっきり恥ずかしくない?
そのセーターどうなっちゃうの?
せっかく編んだのに・・・って、都はるみの歌じゃあるまいし!

だから私は決めている!
私の手編みセーターが着れる最初の男性は、夫になった人♪
私の筝の独奏が最初に聴けるのは、夫になった人♪
私の夫になった人には、この二大特典がもれなくついてくる(笑)

ところで、私が編み物を覚えたきっかけは何だっけ?
彼氏にプレゼント♪でなかったことは確かなのだが・・・
まあ、ずいぶん古いことなので忘れてしまった。
私が編み始めたのは学生を卒業して社会人になってからである。
かなり、遅いスタートだ。

話は変わって私の毛糸の調達方法であるが。
毛糸は40gか50gで1個である。
これを普段の日に買えば、まあ、物にもよるが・・・1個200円から500円といったところだろう。
高級糸ともなると1000円以上してもおかしくはない。
セーターを一着仕上げるのに、13カセから15カセ。
500円×13カセとして・・・(計算機をたたく)
6500円!!
どうですか?
これじゃあ、既製品の方がはるかに安上がり!
そう思うでしょう?
苦労して、夜なべして、肩こりに悩みながら、眠い目をこすりこすり編んで
不恰好なショボいセーター編むより買った方がずっとマシというもの!
そもそも私は6500円もだして衣類全般を買おうとは思いませんが・・・
(なにせ、ここ何年も太極拳用のジャージ(500円)とTシャツ(300円)しか買ってない人だから)

まあ、とにかくそんな高い糸を買ってまで編む気には私はなれないということ。
だって、自分で着るんだもの!
彼氏にプレゼント♪するわけじゃないんだもの!
そういうわけで、私は激安毛糸しか買ったことがないのです。
一時は本気で中国から毛糸を持ち帰ろうとしたこともありました!
あまりの安さに目がくらんで・・・
ハタと我にかえり思いとどまりましたが・・・(←アホや)

私の相場は1カセ100円!
それ以上は買わない!
そんなのあるわけないと思った諸君!
これが意外や意外、けっこうあるものなんです。
アクリルとかじゃないですよ!100円均一ショップでもないですよ!
ウール100%、純羊毛でも100円はあります!
例えば、買い足しはできない生産停止の毛糸とか、季節変わりとか
お正月の初売りの福袋とか・・・

以前、デパートのお正月の福袋情報の広告見てたら
「毛糸つめ放題1000円先着100名限定」というのを見つけたことがありました。
もちろん私は勇んで行ったのです。
遅い時間だったにもかかわらず、1000円を支払って袋を渡された。
なんとも小さな紙袋だった。
ギューッと押し込んだらパリッと破けて・・・バリバリ・・・!
それでも「破けてませんよー」と言わんはかりに胸に抱え込んでレジへ急ぐ。
そんなおば様たちが毛糸争奪戦を繰り広げていた。
私も「いざ!出陣!」
帰宅して戦利品の毛糸の数を数えたら20個以上あった!
1カセ50円以下になったのだ!(嬉)
翌年、この詰め放題企画が消えたことは言うまでもない・・・

とまあ、そんなこんなで毛糸を仕入れている私だが、品質はしっかりしたものばかりだ。
純毛以外は論外!どんなにお買い得でも目もくれない。
このミドリのセーターもモヘアの極太糸で、20カセ買っておいた。
使う当てなどなくても、安いときに買っておくのが私流である。
「いつか彼氏ができたらオソロでセーター♪」
と淡い期待が・・・あっいや、よこしまな考えがあってのことだった。
当時は私も若かった。

ミドリのモヘア20カセ。
使われることなく、年月だけが過ぎてゆく・・・
いつになったら編めるのか、当てなどない・・・
まったく、その気配すら感じられない・・・
今年も形にならないミドリのモヘア20カセ・・・
いつまで毛糸のままなのだろう・・・
オソロでセーターなんて夢のまた夢か・・・

ついに業を煮やした私!
「ええい!しゃらくせえ!!
こうなったら自分の2着編んでやるうー!!」


こうしてこのセーターは産声をあげた・・・(泣)


(2003年8月記)







* * * 第10回 * * *

「パンダの気持ち」

パンダみたいでしょ?
カワイイでしょ?


(2003年8月記)







* * * 第11回 * * *

「2002年、春の北京で」

今回は北京へお供したセーターの登場である。
私は冬服を買うことは滅多にない。
普段は手編みのセーターがたっくさんあるので、買わないでも充分に間に合うのです。
旅行となると新しい洋服をと思わないでもないが、ほとんどひとり旅だし、
行く場所が中国であれば、太極拳をしに行くようなものだから、
それこそ上下ジャージで充分、逆にめかしてる場合じゃない!

2002年2月末から3月初めにかけて北京行きが決まった。
ひとりで行く太極拳三昧の旅である。
そして、北京の冬は寒い。
私は寒いのが苦手ときてる。暑いのであれば平気なのだが・・・
極端な寒がりなのだ。
北京の春は突然にやって来る。
その時期がちょうど3月上旬なのである。
微妙・・・
寒いのか、あったかいのか・・・・
判断に苦しむ微妙な時期である。

暖かくして行ったのにこしたことはない。

さっきも話したとおり、私は旅行だからといって特別めかしこんだりしない。
それが中国でなくてもである。
ヨーロッパにも行ったことがあるが、その時も普段着のままだった。
こんなことばかり言ってると、着る物に無頓着と思われがちな私だが、
意外にも私なりにコーディネイトしてたりするんである。
人知れず私だけが楽しんでいるのですが・・・

私が気にするのは色のコーディネイトなんです。
同系色でつま先から頭のてっぺんまで揃えたがるんです(笑)
誰も気がつかない、私だけが知ってるトータルコーディネイト!
それでもって、2002年北京はテーマが「茶系」だった!
旅行で一番気を使わねばならないのは「靴」だと私は思っている。
だから、その行き場所に応じて靴選びから始める。
靴が決まれば、あとは靴に合わせて洋服を選んでいけばいい。
いたって簡単だ。
私はいつもこうやって着るものを選んでいる。
「茶系」というのも、この時選んだ靴が茶のスエードだったからだった。

セーターも、もちろん茶系できめたい!
というわけで、シンプルな縄編みだけで編んだこのセーターに決めた。
明るい茶の糸だが、極太糸で赤、黄、青、白・・・とさまざまの色が小さく入っている。
だから、たくさんの色が編みこまれるので、デザインはシンプルに。
素編みでもよかったくらいだ・・・
目立たないところに大きめの縄編みを入れて、ざっくりと仕上げた。

私はこのセーターで太極拳をし馬先生に見ていただき、
待ち合わせしたメル友の太極拳指南を受け、投げ飛ばされ・・・
思いがけずライトアップの天安門を見、強風のなか北京の街をひたすら歩き、食べて・・・
たくさんの人と出会い実に充実した日々を過ごした。
私の一生の財産である。
(詳しくは「旅行記」2002年北京をご覧下さい)
私は心から幸せ者だ、と思います。
このような貴重な体験と、優しい人たちと出会えるなんて、感謝の気持ちでいっぱいである。

そんな日々をこのセーターは私といっしょに過ごした。
北京の思い出がいっぱい沁み込んだ、
ついでに黄砂もたっぷり沁み込んだセーターに仕上がったというわけだ。
(北京の春は風が強く、黄砂が飛んできて目も開けていられないほど。
口の中も鼻の中も髪の中もジャリジャリになるので地元の人たちはスカーフをグルグルに巻く。
私もマフラーをグルグル巻きにしてしのいだ・・・)


(2003年8月記)







* * * 第12回 * * *

「夢の転職」

今の仕事を始めて早××年!
こんなに長いこと仕事をすることになろうとは想像もしなかった。
学生時代、就職活動もしたことのない私が、
先生から「おいtuzi!おまえ、この会社に面接に行ってこい!」と言われて
その日の午後には面接を受けていた・・・

人生なんてわからないものである

その面接で合格してしまった私。
完全週休2日制!!(当時はめずらしかった)
「まっ、いいか」
卒業したら帰ってくるものと思っていた両親はガッカリしたかもしれない。

そして、両親も私でさえこの「まっ、いいか」が命取りになるとは夢にも思わなかった・・・
こんなに長くつづける仕事になろうとは思いもよらなかったのである。
やがて私は会社を退社し、フリーで仕事をするようになった。
でも、やってる内容は会社勤めの延長だ。
現在は二足のわらじ状態で、副業を持って学校講師もしている。

どちらも辞めたーい!

本業の方なんかは1年目からそう思っている。
副業も気がついたら講師室では古株になっていた。
こんなに長く続けることになるなんて・・・

まあ、考えようによっては依頼があるということは、
必要とされていることでもあるから喜ぶべきことなのだろう・・・
それにしても、予想外だよ!

予想外もいいとこだよっ!

私は編み物が好きだから、同じ仕事なら好きなことが仕事になったらどんなにいいだろうかと思う。
この話を、同じ講師仲間のM女史に話したところ、
「そんなのいくらの収入にもならないでしょ?編み物じゃ生活できないわよ!」
と一笑されてしまった・・・

「今のあなたの時給で計算してみなさいよ!このセーターいくらになるの?」
(注意)時給は学校講師の時給で計算しました。本業ならこの不景気でこれの半分にも満たないはず。

「えっと・・・(計算機をたたく)一日×時間編んだとして・・・×日で編み上げたとして・・・

はあー?350,000!!35万円?!

「あはは・・・だから言ったじゃない!編み物じゃ仕事になんないでしょ?
月に何着編めるっていうの?一着いくらで売れるか考えてみなさいよ!
今の仕事を辞めるなんて、何寝ぼけたこと言ってんのよ!あはは・・・
誰が35万もだしてあんたの編んだセーター買うのよ!あはは・・・」

ちなみに横にあるバックも私の手編みです。こちらのお値段は145,000円だった・・・
しかも、材料費と構想時間は除いてだ・・・
こんなの既製品で500円もだせばりっぱに買えるってばさ。

ガッカリしている私を見てM女史は「お腹がよじれる〜」と言って涙をこぼしながら笑った。

笑い事じゃないんだけどなあ・・・
あ〜、夢の転職・・・


(2003年9月記)





そろそろ、編み物シーズンもおしまいです。
このシリーズもここでお休み期間に入りたいと思います。
秋になったらまたお会いしましょう!