千と千尋の神隠し
2001年
「名前」

 監督/原作/脚本 : 宮崎駿
 美術 : 武重洋二
 作画監督 : 安藤雅司
 音楽 : 久石譲
 声の出演 : 柊留美/入野自由/夏木マリ/菅原文太
          玉井夕美/内藤剛志/沢口靖子/上条恒彦

(125分)
 第52回ベルリン映画祭金熊賞
 アカデミー長編アニメ賞


10歳の少女、千尋は引越しの途中で家族ともども不思議な世界に迷い込む。
両親は豚に変身させられてしまい、千尋は名前を奪われ‘千’として湯屋で働き始める。

無気力な少女・千尋は労働やそこで働く人たちとの交流をとおして、次第に意欲的になっていく。
主体性の無い、さみしい‘かおなし’‘坊’に盲目的な‘湯婆婆’
ここは、死後の世界だ。

人は死ぬ。

死ぬのは人だけじゃない

山も死ぬ。
木も死ぬ。
川も死ぬ。
花も風も街もみんなおなじ・・・

死んで、生前の名前を失い、生前の事を忘れて死後を生きる。

千尋は生きている。
だが、ここで(死後の世界)生きるために名前を奪われ、働かねばならない。

そこで、出会ったハクという少年に「名前を忘れてはならない、戻れなくなるから」と教えてもらう。
ハクは千尋を知っていた。
でも、ハクは自分の名前は忘れてしまった。死んだから・・・
千尋はハクを思い出せなかった。


やがて、千尋はハクを思い出した!
‘白龍川’
千尋が小さい頃溺れた川だ。
ハクは千尋を助け、脱げてしまった片方の靴を拾ってくれた川だった。

その川は埋め立てられ、やがて‘白龍川’という名前さえ忘れられていった。

死んだのだ!

かつて流れていた川の名前が、人々の記憶から消えていく・・・
語り継がれること無く、存在したことさえ忘れ去られてしまう・・・

このことこそが、死の本当の意味だ!

人々の記憶から消えることなく、名前とともに語り継がれることこそ‘生きている’ことなのだ。

千尋はハクの本当の名前を思い出した!
千尋が覚えてくれていたことによって、そして千尋が‘この世’に戻ることによってハクは‘生’を与えたれたのだった。
「他人のために何かをすること」
与えられるのではなく、与えることを千尋ははじめて知る。

この映画には、少女の自立やら、登場する‘かおなし’や‘湯婆婆’に教訓めいた事柄が豊富に含まれている作品だと思う。
だけど、私にとっては「名前」の大切さと、それに絡んで「死」の意味すること、
「生きている」ことの意味することを考えさせられた映画だった。

十人十色、見た人それぞれの感想が持てるのも、この映画の魅力ではなかろうか・・・。


宮崎駿は世界で絶賛されている。ついにアメリカアカデミー賞にも輝いた。
興行収入も大変なものだ。

伊丹十三亡き後、日本映画界は宮崎駿で持っていると思っているのは私だけでしょうか?

余談ですが・・・
この「千と千尋の神隠し」は世界各国で上映されています。
私たち日本人には‘かおなし’の存在が意味するところは、そこはかとなく理解できます。
かまって欲しいというだけでお金をばら撒いたり、
相手が自分の思うようにならないと暴君になって傍若無人な態度にでる‘かおなし’。
常に心の中では「さみしい さみしい」を繰り返す。
そこには‘かおなし’自信が自覚している無力感がある・・・
弱い人間の誰もが持っている淋しく愚かな心なのではないでしょうか。

この映画を海外で上映した時‘かおなし’がヨーロッパの人には理解されるのに、アメリカ人には全く理解されなかったそうです。
ある特定の国民性を持った人にしか‘かおなし’の存在は心に響かないようです。
・・・つくづくアメリカとはわかりあえないなと思いました(冷笑)


(2003年5月記)