風の谷のナウシカ
1984年
「英雄」

 監督/原作/脚本 : 宮崎 駿
 作画監督 : 小松原 一男
 美術 : 中村 光毅
 音楽 : 久石 譲
 声の出演 : 島本 須美
          永井 一郎
          納谷 悟朗

(116分)


火の7日間と呼ばれた戦争のあとに文明が崩壊して1000年、
世界は有毒な細菌の森、腐海に覆われようとしていた。
辺境の地、風の谷の族長の娘ナウシカは、大国トルメキア軍に父を殺され人質となって
飛行機で運ばれる途中、敵の皇女クシャナともども腐海に墜落する。
そこで、実は腐海が世界を地底から浄化している存在だということに気づく。

一方、風の谷では、トルメキア軍が発掘した最終兵器・巨神兵を育てていた。腐海を焼き払うためだ。
これを阻止するためオームの群れを暴走させ、風の谷に向わせた都市国家ぺジテ。
オームの暴走に対抗してクシャナは巨神兵を動かす。

腐海は浄化の森だということも知らずに、火を使って腐海を焼き払おうとするトルメキア。
対して、その森を守っているオームを利用するぺジテ。
ナウシカはオームを救うべく、浄化の森を守るべく、伝説の奇跡を起こす。


「アニメなんて子供の見るもんさ!」
と、アニメに全く興味がなかった私が、初めて映画館に観に行った映画。
あまりにも評判がよかったし、キネマ旬報で文句なしの1位だったということもあり、ひとまず偵察に行くことにしたのだった。

館内は親子連れと、アニメオタクでいっぱいだった・・・
ナウシカの冒険に、子供たちの「あぶないっ!」とか「きゃー!」という喚声があがり、なんとも賑やかで・・・
私はこれまで体験したことのない館内を味わうことになった。
それはなんとも新鮮で、「子供の反応ってすごいなあ」と、感心させられもした・・・。

でも、話の内容は子供には高尚すぎるんじゃなかろうか・・・?
余計な心配は無用。そんなことはお節介というもの。
だって、子供たちは映画を思う存分楽しんでいたのだから・・・。

そして、初めは「アニメなんて・・・」と軽んじていた私も

宮崎駿は別格
以来、新作映画の宮崎アニメが公開されるたび足を運ぶようになった。
大人のアニメ、いや、大人だって理解するのはしんどい宮崎ワールド!


「風の谷のナウシカ」は原作のコミック版がある。(全7巻)
もちろん、読みました。

映画のナウシカは‘青き衣をまといて、金の野原に降り立つ・・・’伝説の英雄でした。
ナウシカはオームを救い、森と風の谷を守ったのだ。

そこで映画はめでたし、めでたし終わっている。

しかーし!
原作は違う。
この腐海に覆われた世界を救う術はない。
一度、終わらなければならないのだ。
再生のために我々は一度、この世界を終わらなければならないのだ。

これは、アニメの世界の事ではないのかもしれない。
原子力で電力を使用したら、廃棄物がでる。
環境は、木材の伐採で悪化の一途を辿っている。
土に還らないゴミの山・・・
水も飲めない、空気も吸えない、これが現状ではないか?
文明社会を風刺している余裕など、もはやないところまで追い込まれているではないか?

立ち戻るには遅すぎるのかもしれない。
だって、考えよう、考えようって言うばっかりで、何も変わらないではないか!
エスカレートする一方じゃないか!
世界ぐるみでその方向に向かっているではないか!

もう、うんざりだよ。

そもそも、人間は傲慢だ。
自然の領域にまで踏み込んで、破壊するなんて。
めぐりめぐって己に還ってくるのが分からないんだろうか・・・?
ホントのバカだ。
「もののけ姫」(1997年)では、自然との共生がテーマだったけど、私は共生はできないものと考えている。
自然は‘そこに在る’もので、人間は頭をたれて恵みに与るもの。
征服できるものではない。
そっと、しておくものなのだと・・・
自分達人間も自然の一部なのだとどうして思えないのだろう・・・?

自然界には人間以外の動物達や昆虫達もいる・・・
細菌や、ウイルスも・・・
やたら、自然に踏み込んでいくから、おとなしく共生していたウイルスが人間に取り付いちゃうんだよ。
寝てた子を起こすようなもの・・・

話しは違うかもしれないけど、自然(=神の領域)に踏み込んで、クローンだなどと・・・
なんでもかんでも、人間が自由に操作できると思っている傲慢さが危険だと、私は思うのですが・・・

もう、うんざりだよ。


私は冗談抜きに、一度終わらなければならないと思っています。
その覚悟をしておいたほうがいいし・・・

だって、私たちの前には青き衣をまとった英雄は現われないのだから。


(2003年5月記)