自転車泥棒

「愛情」
LADRI DI BICICLETTE 1948年

 監督 : ヴィットリオ・デ・シーカ
 脚本 : チェーザレ・ザヴァッチィーニ
 原作 : ルイジ・バルトリーニ
 音楽 : アレッサンドロ・チコ二ーニ
 配役 : 父親アントニオ・リッチ(ランベルト・マッジョラーニ)
       息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)       
 米アカデミー外国語映画賞
(88分)


唯一の商売道具の自転車を盗まれた親子がその行方を探し歩く一日の話。

私がこの映画を観たのは・・・途方もなく古い話だ・・・
80分ほどの短い映画だが、強烈に心に残った。

明日がやっとありついた父の初仕事の日ということで、息子は前の晩、
自転車をぴかぴかに磨いて父を送り出そうと張り切っている!
仕事はポスター貼りだ。だから自転車は必需品だ。
ところが、はしごに登って大きなポスターを貼ってるうちに自転車を盗まれてしまった。
第二次世界大戦後のイタリアン・ネオ・レアリスモの時期、仕事にありつくのは至難の業。
商売道具の自転車を盗まれては仕事にならない。
親子は悲惨な状況に陥る。貧困と失業・・・

友人もいっしょに探すが見つからない・・・
思い余った父親は息子に先に帰るように言って、自転車を盗む。
が、見つかって取り押さえられ、袋叩きにあってしまう。
そこを、電車に乗り損ねた息子が見ていた・・・
子供の目の前で屈辱にまみれ絶望に打ちひしがれた父親。
その父親の手を息子がそっと握りしめる。

自転車を盗む側の心中を、盗まれた側もこの社会状況の中ではお互い痛いほど、わかっているのだ。
盗まれた人間がやむにやまれず盗みをはたらかねばならない状況。
そんな困窮したイタリア社会を背景に、人としての尊厳と誇り、親子の愛が描かれている。
息子は父親の心情を理解し、黙って手を握る・・・(泣)
このラストシーンの「切なさ」「やりきれなさ」が心を打つ名作と私は思う。


撮影前デ・シーカ監督が資金援助者を探していたところ、あるアメリカのプロデューサーから申し出があった。
条件は父親役にケーリー・グラントを採用することだった。
だが、デ・シーカ監督は「米国で使えるのはヘンリー・フォンダだけだ」と断った。
この映画の父親役、息子役も含め全員しろうとになったというから驚ろきだ。


イタリア映画は1956年「鉄道員」でも涙の家族愛を見せてくれる。
一家の主お父さんは子供に英雄のように慕われている。
隣人との付き合いも家族同様で、気の置けない仲間たちもたくさんいる。
イタリアの家庭はそうだったのだ。日本でもかつてはそうだった。アメリカでさえそうだった・・・
どんなに貧しくとも子は親を慕い、尊敬して大人になってゆく。
まわりの友人、見知らぬ人も手をさしのべる連帯感があった。
社会全体が支えあって生きていける、そんな時代だった。
日本なら小津安二郎の一連の秀作に見られるように、イタリア映画はそんな人間愛を描いた作品が数多い。


(2002年9月記)