パーフェクト・ワールド

「大人の責任とは・・・」
A PERFECT WORLD 1993年

 監督 : クリント・イーストウッド
 脚本 : ジェームズ・リー・ハンコック
 出演 : ケヴィン・コスナー / クリント・イーストウッド
       ローラ・ダーン / T・J・ローサー

(138分)


両親の愛を知らず育った囚人ブッチ(ケヴィン・コスナー)が刑務所を脱走。
少年(T・J・ローサー)を人質にして逃避行を続けていく。
ブッチを追う警察署長にクリント・イーストウッドが扮する。
逃避行を続けるうちに、人質にした少年が自分と同じ環境に育ったことを知る・・・


アメリカの片田舎。
劣悪な家庭環境で育ったブッチは、10代の時ささいな罪を犯す。
地元の警察署長ガーネットはブッチを酷すぎる家庭から守るため、わざと重い刑を与えた。
それ以後、ブッチは憑かれたように罪を重ねた。
ブッチ本人にもわからない、自分の中の凶暴性が罪を重ねさせた・・・

愛に飢えていたがため・・・

ブッチが人質にした少年も同じだった。
ブッチは自分の少年時代を思い出しただろう、いかに親の愛に飢えていたか。
そして、少年の将来と自分を重ね合わせる。
まともじゃない人生だ、ってことはわかっている。
人質にした少年と自分の過去を取り戻すための逃避行に旅立つ・・・‘パーフェクト・ワールド’を求めて。


子供の頃に満たされない思いは、大人になって影を落とす。
子供の頃の記憶はそのほとんどが大人になると消えてしまう。
いいや!それは違う!消えてしまったと思っているだけだ!
記憶は消えずに全部覚えているのだ、私はそう信じている。

人は毎日の積み重ねで生きている。
それは物心ついたときから突然始まるものではないのではないか?
親に愛されなかった子供は、自分が親になった時子供に愛情がうまく表せない。
自分が育てられたようにしか育てられない。往々にして言えないだろうか?

子供を虐待する親。リサーチすると、本人が幼い頃親に虐待されていたことが判明。
もちろん、統計の話しだ。全てではないだろう。
だが、忘れていたはずの記憶がそうさせる・・・とは考えられないだろうか?


パーフェクト・ワールドはどこにも存在しない。例え子供の世界であっても。
そう言ってしまうのは簡単だ!
私は思う。
子供の世界は大人が責任持って守ってやらねばならないと!
パーフェクト・ワールドを与えてあげないと!
大人になれば、パーフェクト・ワールドなどないことに誰しも気がつくのだから・・・
だからこそ、子供の世界だけはパーフェクト・ワールドにしてあげたい!

子供に愛情を注ぐのは親に限ったことではない。親でなくて構わないはずだ。
とにかく、どんな子供にも愛情は必要な栄養源なのだ!
不足してはいけない。
多すぎて、過ぎることはない!
過保護だって構わない!
その愛情にへそを曲げようが、それは大人になった時にきっと役に立つのだ。

自分が誰かから愛されたという記憶が人間を目覚めさせる。私はそう信じている。

大事なのは誰かに愛されたという記憶なのだ。
誰かに必要とされたという記憶なのだ。

その記憶がある人間は、他の誰かにもたっぷりの愛情が与えられる人人間になれるはずだから・・・




ブッチと少年は、パーフェクト・ワールドを取り戻せるだろうか・・・?
少年には、大人になったブッチがいて愛情の飢えから救ってくれる。
でも、ブッチを救ってくれる人は・・・?

こんな悲しい思いが強烈にこみあげた、忘れられない映画です。


(2003年5月記)





アメリカのトリイ・ヘイデンという作家は小児精神、児童心理学の見地から数多くの本を書いている。
私は彼女の日本語に翻訳された全作品を読んでいるが、
小児精神には暗黙のうちに親の精神状態が深く影響を及ぼしていることがよくわかる。

著作に「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」「よその子」「檻の中の子」「幽霊のような子」「愛されない子」
ここまではノンフィクション。小説には「ひまわりの森」「機械じかけの猫」などがある。

<tuziからダメ押しのひとこと>
子供には子供本人の世界がある。しかし、それを形どっていくのは、子供をとりまく大人の世界なのだろう。
我々大人の言動と行動が、子供を狂気に追い込んでいるとすれば戦火に巻き込んだアメリカの責任は計り知れない・・・