存在の耐えられない軽さ

「些細なことさ・・・」
THE UNBEARABLE LIGHTNESS OF BEING 1988年

 製作 : ソウル・ゼインツ
 監督 : フィリップ・カウフマン
 原作 : ミラン・クンデラ
 脚本 : ジャン・クロード・カリエール
 出演 : ダニエル・ディ・ルイス
       ジュリエット・ビノシュ
       レナ・オリン
       ステラン・スカルスゲールド


(173分)


舞台は1968年、プラハの春を謳歌するチェコスロバキア。
ひとりの有能な脳外科医トマシュ。
独身で、遊び人のトマシュはテレーザという生真面目な娘と出会い、同棲から結婚に踏み切る。
だが、一方でトマシュは、彼の分身のような女流画家サヴィーナとも自由な関係を結んでいた。

人生を軽く生きるトマシュ。

彼の中で自分の存在の軽さに耐えられないテレーザ。

芸術的才能があり、自由なサヴィーナ。




テレーザは耐え切れず、
「もうあなたを支えることができない。それどころか私には重荷だわ。
人生は私にはとても重いものなのに、あなたにはごく軽いものなのね。
私はその軽さに耐えられないの。
プラハでは愛だけがあればよかった。スイスでは私はすべてをあなたに頼るだけ。
捨てられたらどうなるのかしら?私は弱いの。だから弱いものの国プラハに帰るわ」
そう言ってテレーザはプラハに戻った。
そして‘プラハの春’からソ連軍の武力介入があった。


チェコの歴史は短い期間に紆余曲折している。
第一次大戦の結果、1918年それまで支配していたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し
西のチェコと東のスロバキアが合体して形成された。
1939年ヒトラーのナチに占領されて第二次大戦を迎えた。
1945年ソ連軍に解放され、1948年実質上の共産党独裁体制を完成。
以後、スターリン時代の中で社会主義化が進み、1956年スターリン批判後も
ノボト二ー共産党がスターリン主義を踏襲していた。
1968年1月、ノボト二ーが退陣。
代わったドプチェクが自由化、民主化を打ち出し前途に明るい希望が見え始めた。
この時期が‘プラハの春’と呼ばれるものである。
しかし、1968年8月自由化の行きすぎと見たソ連などワルシャワ条約軍20万をもって武力介入し、
ドプチェクら改革派を辞任に追い込み、‘プラハの春’は崩壊した。
ミロス・フォアマン、ヤン・カダール、イバン・パッサーなどの優れた作家が故国を捨てたのもこの事件の直後である。




武力介入のプラハを見ては尚更テレーザにとって人生には意味があり、重いものになった。

「愛もなしにセックスできるなんて信じられない。そうだわ、私も試してみよう。
あなたのように無神経で逞しくなりたいわ」

‘軽い’と思われ、快楽を求めているかのようなトマシュだが、論文の撤回サインを求められて、
臆病が習慣になるのを嫌い、サインを拒んだ。
それが元で将来を棒に振ったりもしていた。

「トマシュ、あなたセックスしたいだけ?それともすべての女性の秘密を知りたいの?」

トマシュは言う。

「知りたいのは・・・・・・些細なことさ」

ふたりは国外へ出国できないため、田舎に暮らし始めた。ようやく、ふたりに平和がおとずれようとしていた・・・

テレーザの不安はつづいていたが、幸せだった。トマシュは人生に重みを感じはじめていた・・・
これで、ふたりは幸せになれるはずだった。
トマシュは‘些細なこと’に気づきはじめていた・・・

映画の最後のセリフ。
運転しているトマシュにテレーザが話しかける・・・

「トマシュ、何を考えてるの?」

「どんなに僕が幸せか、と」


フランスに亡命中のチェコの作家ミラン・クンデラの小説の映画化。
彼の小説は小難しい!
私は‘悪魔的’までにおもしろい!という謳い文句に騙されて「不滅」を読んだが、やはり難解だった・・・

ヨーロッパの一流スタッフが集結したアメリカ映画。「カッコーの巣の上で」「アマデウス」のソウル・ゼインツが製作。
出演は背骨がたまらないジュリエット・ビノシュ、
笑顔になると額の血管がたまらないダニエル・ディ・ルイス。

プラハは世界でも有数の美しい町と言われていますが、その背景には列国に押さえつけられた無言の歴史がある。
ヨーロッパの小国は東のソ連と西の列国に挟まれて、苦しんできた歴史があるのだ。
映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の監督、ジム・ジャームッシュは、
そんな暗い過去を持つ東ヨーロッパの中でも比較的当たり障りのないハンガリーを選んだと語った。
そう言わせるだけ、チェコは特別なのだ。

撮影は政治的な理由でチェコではできなかった。代わりにフランス中東部をプラハに見立てて行われた。
撮影地のフランスとプラハの写真を混ぜてクンデラ夫妻に見せても、
その違いが解らなかったほど、そっくりの町並みの再現だったという。


私は思った。
テレーザは人生を重いというが、結局頼ることしかできない弱い女だ。
トマシュは人生を軽く生きているが、信念を持って生きている。ただ、ちょっとエッチで、女好きなだけ・・・
自由奔放に生きているように見えるサヴィーナは、自分の行動に責任がもてて仕事を持つ自立した女性だ。

物事には表と裏があり、それは人間の多様性につながる。
人はそんな合わせ鏡のような面をいくつも持ち合わせているのではないだろうか・・・
私には、この3人が三位一体に思えた。

結局、3人とも心から求めているのは、「些細なことさ・・・」なのだと思う。
もちろん!私「些細なことさ・・・」を求めている・・・
「些細なことさ・・・」の正体は・・・映画をご覧あれ。


(2003年5月記)