アマデウス

「天才には凡人の苦悩が理解できない」
AMADEUS 1984年

 監督 : ミロス・フォアマン
 脚本/原作 : ピーター・シェーファー
 音楽 : ネビル・マリナー
 出演 : F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ
      
 アカデミー賞8部門
  作品賞、監督賞、脚色賞、美術監督・装置賞、音響賞、
  衣装デザイン賞、メイクアップ賞、
  主演男優賞=F・マーリー・エイブラハム
(160分)


1823年、ウイーンの精神病院でかつての宮廷音楽家アントニオ・サリエリは意外な告白を始める。
「モーツアルトを殺したのは私だ」と。凡庸なものが天才に抱く妬みと憎悪を描く。
35歳の若さでこの世を去った楽聖モーツアルトの謎の死を題材に、シェーファーの舞台劇を映画化した。


音楽に関しては斬新で、誰もが愛したモーツアルト像が、
その音楽からは想像もつかないほど下品な青年の手によるものとは・・・
しかも、いとも簡単にチャーミングな音楽を造り上げてしまう天才。
何の苦もなく泉の如く湧き出るメロディー・・・

モーツアルトに凡人の苦悩など解ろうはずもないだろう。
サリエリは凡人だった。
宮廷音楽家としては高い地位にあった彼だが、モーツアルトの才能が羨ましくて仕方ない。
彼の創りあげた音楽は「神の手によるもの」と感じていた。
だが、その本人ときたら、甲高い笑い声、下ネタ大好き、下品・・・
どう考えても神とはほぼ遠い。
サリエリはモーツアルトの音楽を愛しながらも、同時に憎んだ。




「どうして、神はあんな男に才能を与えたもか?なぜ、私ではなかったのか?」
サリエリは神を恨んだ。

この映画で、サリエリはモーツアルトを殺したと告白する。
それはすなわち、神を殺した!と告白したかったのだ。

サリエリは自覚していた。
自分に才能がないこと、モーツアルトには適わないこと・・・
天才に凡人の苦悩が理解できないこと・・・だから・・・
私は神に愛されていない、見向きもされていないということが許せずにいた・・・。

サリエリの苦悩はよーくわかる。
同じ音楽家として羨望するあまり、自分の才能のなさが浮き彫りになる。
やがて憎悪に変わる・・・。

しかも皮肉なことに、モーツアルトのフルネーム、Wolfgang Amadeus Mozartアマデウスの意味は「神に寵愛される」なのだ。

天才に凡人の苦悩は理解できない。
神に愛された者に、神に見捨てられた者の気持ちはわかるまい・・・

  



エジソンは「天才とは99パーセントの努力と1パーセントのひらめき」といった。
そうだろうか・・・?

彫刻家ミケランジェロ。
大理石の石切り場で言った。
「人が埋まってる」
のみを振るう手に迷いなどあろうはずがない。

画家ゴッホ。
私が見た所、彼の色は一度置いた上にまったく違う色が重ねられた印象がない。
色はまるで、置かれる場所が初めから決まってるが如く描かれているように見える。
書き損じがない・・・ように思われるのだ。
彼には白いキャンバスを前に完成が見えているかのよう・・・

モーツアルトもしかり。
天才には迷いがない!
作品を搾り出すのではないのだ。
湧きでてくるのだ。
所定の音符。彫るべき石。置くべき色の場所・・・
それらが見えているのだから、考えがなくても完成してしまう。
神の所業とでもいうのか・・・
迷いがないから、勢いがある。
だから、見るものを圧倒する・・・

でも・・・

凡人には天才の苦悩は更に理解できない。

天才もこの世に生きる人の子なのだから・・・
また一方で、神を殺したと告白する凡人サリエリの地獄は計り知れない。

人間の葛藤が神の存在を介して描かれている映画だと思う。




(2002年12月記)