ジョ二ーは戦場へ行った

「わからない」
JOHNNY GOT HIS GUN 1971年

 監督/原作/脚本 : ダルトン・トランボ
 出演 : ティモシー・ボトムズ / キャシー・フィールズ
       ドナルド・サザーランド / ダイアン・バーシ

(112分)
 カンヌ映画祭審査員特別賞
 国際批評家賞


第1次大戦にアメリカが参戦し、中西部コロラド州の青年ジョー・ボナムは、ヨーロッパの戦場へと出征していった。
鼓膜を引き裂くような不快音をたてて落下してくる砲弾が炸裂し、大地がわれる。
ジョーはいま、<姓名不詳重傷兵第407号>として、前線の手術室に横たわっている。
延髄と性器だけが助かり、心臓は動いていた。
軍医長テイラリーは「もう死者と同じように何も感じない、意識もない男を生かしておくのは、
彼から我々が学ぶためだ」と説明した。
こうして<407号>と呼ばれるようになったジョーは陸軍病院に運ばれたのだが、
彼にははっきりとした意識があった。
暗闇の中でジョーは光を感じ、温度を感じ、そして出征する前夜へと意識はかけめぐる・・・。


田舎の青年ジョ二ーは恋人の反対を押し切って志願兵となって戦場に行った。
第一次世界大戦で両手両足、さらに目、耳まで失った青年兵士の苦悶の日々を映像化した反戦映画。

‘赤狩り’の重圧に耐え、幾多の名脚本を発表してきたトランボが65歳で自ら演出し、監督した。
《赤狩りと闘いぬいたダルトン・トランボ監督》
もしも人間が一挙に五つの感覚を失った後も生きつづけていくとしたら、その世界はどのようなものなのだろう。
第一次世界大戦が終わってから、15年近く両手、両足、耳、眼、口を失った状況のもとに生きつづけた
イギリス将校が実在したという事実をヒントに、ダルトン・トランボは、1939年に小説「ジョニーは銃をとった」を書いた。
これは、レマルクの「西部戦線異状なし」、ヘミングウェイの「武器よさらば」とならぶ
反戦小説の傑作として大きな反響を呼んだ。
それから三十数年後、トランボ自身が監督して完成したのがこの『ジョニーは戦場へ行った』である。
トランボは、赤狩りによって一度は映画界から追放されながらも、ロバート・リッチと名を変え、
アカデミー賞を受賞した「黒い牡牛」・「ローマの休日」などのシナリオを書き続けた。
その後も本名で「栄光への脱出」・「スパルタカス」・「フィクサー」など、“赤狩り”に耐えぬきながら、
多くの傑作を世に送り出している。


愛国的な演説・歌に誘われ、銃をもったジョー。
しかし青春の輝きに満ち、恋人と愛情をたしかめあった体は、戦場で引き裂かれてしまった。
両手、両足、耳も眼も失った。名前も失った。それでも青年の意識は、心は、生きつづけている。
肌に感じる陽のぬくもり。文字のなつかしさ。意志や心情を伝える何気ない接触が重要な意味をもつことの発見。
そうしたすべてが青年の心を動かしてゆく。
青春の輝きと対峙される現実の痛ましさは、人間が人間として生きることを奪い去る戦争を痛烈に告発し、
反戦の訴えとなって、しみじみと私たちに迫ってくる。
「戦争の道具にされた若者」が、人間の五感を失ってもなお、人間そのものに復活していく姿は感動的である。
戦争の非人間性を、今、あらためて考えたい。


暗闇に生きる青年。映像は声なき声(青年の意識)だけ。
映画を観始め、何のことやら初めのうちは理解できなかった。
観客は青年の意識を体験している。
「どうなってるんだ?」

やがて、看護婦が現れる。
でも、青年には見えない。聴こえない。動けない・・・
この自分の意思を伝えることも出来ない・・・
顔も焼かれ、手足もない、ジョニーは一個の肉のかたまり、物体に過ぎない・・・

意識はある。
この状況でジョニーは生きているといえるのか?

看護婦は安楽死を試みるが生体実験のサンプルにしておこうと考える医師に見つかってしまう。
ジョニーは死ぬことも出来ない。

生きていたいのか?
その確認すらできない。
それでもジョ二ーは生きているといえるのか?

‘ジョ二ーよ戦場へ行け’これが第一次大戦時アメリカの若者への呼びかけだった。
そして、若者は戦場へ行った。
この映画、ひとりの負傷した若者の姿を声(心の叫び)だけで見せている。
‘先生、僕の両手ないんですか?’
顔はガーゼでかくされている。
‘あの、僕両足もないんですか?’

アメリカよ、頼むから30年前から学んでくれ!


(2002年12月記)